ぼっちの晴れと友達の雨

不定期の更新になっております

ぼっちの晴れと友達の雨#2「心に雨」

前回のお話は

「〜から悲しさに変わる時」

ぼっちが生まれるのではないか。

そのようなお話でした。

第2話「心に雨」では、

私が成長する時には、雨が降っていた。

ぼっちになる時は裏切りがあった。

そんな話をしようと思います

それでははじまります。

 

「心に雨」

 

自分はとにかく昔から雨男でした。

記憶にある限り

遠足、修学旅行など全て雨が降るほどです。

そんな私ですが、雨は嫌いではないし。

憎んだことも無いのです。

なぜかと言いますと、

雨の日に人一倍成長したからです。

私は昔からぼっちのことが多かったのですが、

雨の日は、

人がそばにいてくれたことが多かったのです。

小学生の時、

雨の休み時間になると

教室でみんな遊んだり、体育館で遊んでいました。

私は割と小学生の時は、今ほど

アクティブではなく、

どちらかと言うと、

自由帳に迷路を書いていた人間です。

(小学生の時やたら流行った細かい迷路)

そんな迷路を、

保育園の友達と喜んでやっていました。

今思えば、自分で書いて自分でやる時もあって

何が楽しいのか…そう思いますよね。

ですが、この時は友達と一緒にいるのです。

私は、誰かと一緒にいる喜びも感じました。

ですが、雨はいつかは止むものです。

そう、

心に雨が降っていてもいつかは晴れるように。

天気と、心は良く似ていて、

逆に言えば繋がっているのではないかと

そう考えるほどに曇りの日は元気が出ない

そんな一日もありますよね。

雨がやみ教室でまたひとりでぽつんといる。

そんな日々が続きました。

小学生4年生の時です。

私は初めていじめを受けました。

それも晴れの日のことです。

皆さんはいじめについてどうお考えですか?

「いじめた側片方が悪い」

「いじめられる弱い人間がいけない」

「両方悪い」

皆さんはこの中に答えがありますか?

私の答えは「弱いからいけない」なのです。

私がいじめられたのはそう。

野球がド下手だったからです。

私は何故かピッチャー、キャッチャー、サード

外野という役を任され

そのときはすごい喜びました。

(この後定位置はサードとキャッチャー)

私はこの時初めての野球でこんな役を貰えて

喜び日々練習に励みました。

ですが1つ問題があったのです。

速い球が怖いこと。

野球をやったことがなかった私には、

ソフトボールやっている子の

ボールが怖かったのです。

ソフトボールやっている子は

60キロくらいのたまを平気で投げてきます。

(今の私ですら、90キロくらいです。)

そしてそれを体に当ててまで止めて

毎日アザができていました。

ある時です。

「取れなかったら罰ゲームね。」

罰ゲームとわ

尻をバットで叩かれる。

いわゆる「ケツバット」ですね。

毎日、毎日、私だけそのようなことをされました。

仲間から囲まれ。

何度も、何度も、

私はその後はよく覚えていませんが

その後は塾に行くと言って

その野球をやめて

わずか、1年くらいで辞めてしまいました。

その後はその子たちとも仲直りをしましたが、

私の心の中では、

人に疑念の心を抱かせました。

 

「人に疑念を抱く時、1人になる」

それがぼっちなのでしょうか。

信用をなくし、無くされた時に

本当のぼっちが生まれるのかもしれません。

 

ぼっちの晴れと友達の雨#1「初めての種」

「初めての種」

 

私は小さい頃から

人見知りでコミュニケーションをとるのが

苦手でした。

今思うとこれが1番の種で、

この種を持っていたことにより

ぼっちの世界線が生まれてしまったのだと思います

話すことが苦手で異性との関わりも苦手でした。

話すことが苦手(男女どちらとも)なだけで

明らかに友達を作ることが不利であるといえます。

でもそんなことは小さな頃の私は気にする事はなく

のんびりと過ごしていました。

私は小さい頃は親の仕事の都合により

託児所、保育所を点々と回っていました。

最後の保育園に行くまでは、

託児所の大人の人にすごい虐められていて

自分だけすごい罵倒を浴びせるのです。

それが毎日続いていました。

そして自分は自分の殻にこもることになりました。

その次の保育所では全く記憶はないのですが、

歩いているだけで怒られていたり

お前はじっとしていろと言われていました。

(今では問題になってもおかしくないですね。)

そんな中、仲のいい女の子がいたのを覚えています

その女の子はいつもいつも一緒にいてくれました。

(なぜその女の子と仲いいのかは忘れてしまいました)

そして次の保育園が最後になり

年長年に入り、仲の良い友達も増えました。

ですが、あの頃もいい記憶も悪い記憶も残っています。

ある男の子とずっと遊んでいて仲間として認めてくれたのです。

あの時の私はまだぼっちではありませんでした。

ですが保育園ですので親親御さんのお迎えがくれば

みんな帰っていきます。

仲のいい子は親御さんの帰りが早く、すぐに帰ってしまいます。

そしたら急に孤独が訪れるのです。

「あれ、お母さんいつお迎え来るかな…」

あの頃自分は母の迎えはもう少しなのにそれが

1時間にも2時間にも感じました。

実際のところ、今思うと30分もしないで迎えに

きていたと思います。

私は自由帳ににらめっこしながらずっと絵を描き、

暇になったら違う事をして時間を潰し

親が帰ってきたら、その場所まで走っていきました

両親が共働きで、私は親に甘えられる時間など

滅多になかったのです。

わがままも言いたい歳でした。

私はわがままを言う度、怒られ、口も聞いて貰えない。

そんな時間を多く過ごしました。

あんなに待っていたのに、なぜ喧嘩をするのだろう

そう考えるうちに

どんどん消極的になっていったのでしょう。

その時にきっと、1つ目の種が落ちたのでしょう

「何も言わなければ、喧嘩にならない」

それが第1個目の種だったのでしょう。

保育園でこんなことも覚えています。

私は仲の良いとおもってたグループに

入れてもらえることになって、

楽しみに保育園に行きました。

「おはよ!」

「あ、今日から新しい子はいるから君いらない」

「あ、ごめんなさい」

(みんなが笑ってる声)

その日私は1人でまたお絵描きをして

親を待つ時間をすごしました。

小さい頃の傷は大人の時より

倍のような気がします。

それはみんな言葉のオブラートを覚えるからだと

私は思います。

その時はストレートに貰った言葉、

今なら濁して貰えたのでしょうか。

これが私の保育園の記憶でした。

ぼっちとは、

「裏切りから生まれる悲しさ」

「喜びから悲しさ」

~から悲しさに変わる瞬間に

生まれる時があるのかも知れません。

ぼっちの晴れと友達の雨#冒頭

「自分はぼっちです」

「あなたは人と話してるぼっちじゃない」

こんな言い争い聞いた事ありますか?

聞いたことないですよね。

さてそれは何故でしょう。

そんな悲しい言い争いはしたくないからです。

私は自分がぼっちだと認識したのは

多分小学生高学年の時です。

でもぼっちになる事はごく自然な流れで、

僕は、私は、「ぼっち」じゃないからわからない。

そもそもぼっちとはなにか。

皆さんはよくよく考えて見た事ありますか?

ぼっちは辛いのか、

また、ぼっちは本当は気が楽なんじゃないか。

そんなことをこのエッセイで書いていこうと思います。

タイトル

「ぼっちの晴れと友達の雨」

このタイトルの理由は

私がぼっちを経験してきたのは大抵晴れで

雨は私と傍にずっといてくれるような

そんな気候でした。

(後日この意味を分かりやすく話そうと思います)

私は、今も尚なぜぼっちのまま生活しているのか

たまに悩んだりすることはあります

ですが、

こんな生き方も悪くないと思える

私のエッセイです。

たまに辛い文章などがあると思います。

その場合は飛ばしてもらっても構いません。

これが自分の歴史です。

それでは次の

「ぼっちの晴れと友達の雨」からは

本題に入っていこうと思います。

ここまで長らく

お付き合い頂きありがとうございます。

1ヶ月に1~2回ペースで更新出来たらいいなと

思っております。

それでは、はじまりはじまり。