ぼっちの晴れと友達の雨

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ぼっちの晴れと友達の雨#1「初めての種」

「初めての種」

 

私は小さい頃から

人見知りでコミュニケーションをとるのが

苦手でした。

今思うとこれが1番の種で、

この種を持っていたことにより

ぼっちの世界線が生まれてしまったのだと思います

話すことが苦手で異性との関わりも苦手でした。

話すことが苦手(男女どちらとも)なだけで

明らかに友達を作ることが不利であるといえます。

でもそんなことは小さな頃の私は気にする事はなく

のんびりと過ごしていました。

私は小さい頃は親の仕事の都合により

託児所、保育所を点々と回っていました。

最後の保育園に行くまでは、

託児所の大人の人にすごい虐められていて

自分だけすごい罵倒を浴びせるのです。

それが毎日続いていました。

そして自分は自分の殻にこもることになりました。

その次の保育所では全く記憶はないのですが、

歩いているだけで怒られていたり

お前はじっとしていろと言われていました。

(今では問題になってもおかしくないですね。)

そんな中、仲のいい女の子がいたのを覚えています

その女の子はいつもいつも一緒にいてくれました。

(なぜその女の子と仲いいのかは忘れてしまいました)

そして次の保育園が最後になり

年長年に入り、仲の良い友達も増えました。

ですが、あの頃もいい記憶も悪い記憶も残っています。

ある男の子とずっと遊んでいて仲間として認めてくれたのです。

あの時の私はまだぼっちではありませんでした。

ですが保育園ですので親親御さんのお迎えがくれば

みんな帰っていきます。

仲のいい子は親御さんの帰りが早く、すぐに帰ってしまいます。

そしたら急に孤独が訪れるのです。

「あれ、お母さんいつお迎え来るかな…」

あの頃自分は母の迎えはもう少しなのにそれが

1時間にも2時間にも感じました。

実際のところ、今思うと30分もしないで迎えに

きていたと思います。

私は自由帳ににらめっこしながらずっと絵を描き、

暇になったら違う事をして時間を潰し

親が帰ってきたら、その場所まで走っていきました

両親が共働きで、私は親に甘えられる時間など

滅多になかったのです。

わがままも言いたい歳でした。

私はわがままを言う度、怒られ、口も聞いて貰えない。

そんな時間を多く過ごしました。

あんなに待っていたのに、なぜ喧嘩をするのだろう

そう考えるうちに

どんどん消極的になっていったのでしょう。

その時にきっと、1つ目の種が落ちたのでしょう

「何も言わなければ、喧嘩にならない」

それが第1個目の種だったのでしょう。

保育園でこんなことも覚えています。

私は仲の良いとおもってたグループに

入れてもらえることになって、

楽しみに保育園に行きました。

「おはよ!」

「あ、今日から新しい子はいるから君いらない」

「あ、ごめんなさい」

(みんなが笑ってる声)

その日私は1人でまたお絵描きをして

親を待つ時間をすごしました。

小さい頃の傷は大人の時より

倍のような気がします。

それはみんな言葉のオブラートを覚えるからだと

私は思います。

その時はストレートに貰った言葉、

今なら濁して貰えたのでしょうか。

これが私の保育園の記憶でした。

ぼっちとは、

「裏切りから生まれる悲しさ」

「喜びから悲しさ」

~から悲しさに変わる瞬間に

生まれる時があるのかも知れません。